映像クリエイターになった経緯2023年8月29日 14:25

僕が動画クリエイターになるまで

僕が映像クリエイターになるまで


僕が”映像”というものに出会ったきっかけは、スケートボードでした。


スケボーには技を映像に収めて、それをかっこよく編集して公開する。という⽂化があるんです。
本場アメリカでは、有名なスケボーブランドから⾃分が滑っている映像が公開されるとプロと認められるので、スケーターはみんな⾃分の滑りを撮影してSNSにアップしたがります。


僕もその⼀⼈で、カメラに詳しい仲の良いスケーターの兄ちゃんと映像を撮っては編集していました。

 


スケーターから映像クリエイターへの転換点は約1年半前。
学校に貼ってあった、⿅児島銀⾏さん主催の映像コンテスト作品募集のチラシを見たところから始まります。


テーマは、「再発⾒!⿅児島の⾃然と⾷」。
今まで制作したことのないタイプの映像でしたが、⾯⽩そうだったので、当時持っていた唯⼀のカメラ”GoPro”を使い、⿅児島のあらゆる⾃然を撮影、編集して応募しました。

 


僕は、作品作りを通して、撮影をすることの楽しさや、カメラを向けることによって初めて気づく世界の美しさを知ります。
そして、制作時に調べたものすごくかっこいい映像(いわゆるCinematic)を作る⼈たちに憧れるようになり、Cinematic映像の虜になっていきました。


なんと映像コンテストの結果はなんと最優秀賞。うれしいを超えて、びっくりしたというのが正直な感想です。
その賞⾦で機材を買い、中元悠仁の映像クリエイターとしての道のりが始まりました。

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それからは、旅先の映像を作ってみたり、コンテストにも応募してみたり。

1回⽬から最優秀賞をとっていささか調⼦に乗っていた僕ですが、応募したコンテストはことごとく⼊賞できず、上には上がいるということを知りました。
それと同時に、「⼊賞している作品と僕が作る作品のテイストが違う」ということに不安を感じ、悩むようにもなりました。


今もこの悩みはありますが、僕が作る映像を気に⼊ってくれる⼈や楽しみにしてくれている⼈がいることをモチベーションに、「前作より良いものを作るぞ」と、⽇々映像制作関連のことに取り組んでいます。