プロジェクト詳細2022年11月28日 10:47

「早川倉庫」について

「早川倉庫」について

早川倉庫は、江戸中期に長州藩毛利家一族の岡崎家が開業した赤酒、にごり酒を醸造する岡崎酒類醸造所として使用されていた建造物であり、明治10年の西南戦争で焼失後、同年12月に再建された母屋や倉庫群が現存する、歴史的にも貴重な建物です。
 
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<昭和29年の早川倉庫>
 
酒の製造は明治末期まで行われ、「川津本店」が建物を引き継ぎ、その後早川仁三郎氏が「早川商店」として継承、その子息健祐氏が太平洋戦争後昭和29年に倉庫業を開業し現在に至ります。
 
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<昭和63年頃 上空から見た早川倉庫>

再建時(明治10年6月)の資料として残っている「岡崎文書」の中に「竹木御払下願」という項目があります。

そこには「当時明治政府が西南戦争後に焼け残った熊本城の櫓を解体し、町人に払い下げを行った」とされる記載があり、丁度再建の時期と符合しています。

このことから、同建築に熊本城の廃材が再利用されている可能性が極めて高いとされ、建物内部の柱、梁を注視すると再利用された箇所が数多くあり、見所の一つとなっています。 
 
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<現在の早川倉庫外観>
 

そして平成28年に発生した熊本地震では、柱のズレや、倉庫全体の土壁が剝がれ落ち壁板を突き破るなど、大きな被害を被りました。

修復は昔ながらの手法で行う必要があり、材料の調達から修復作業まで膨大な時間を要するため、現状、未だ手付かずの部分も残っています。
 
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<この場所が「イノベイティブ・コミュニティ・プレイス」に生まれ変わる>